
私の中で大切にしている祈りは
日常の暮らしの中で祈ること。
特別なときも特別でないときも
祈ることが暮らしの一部で在ること。
神様は、心の中にいらっしゃるので
いつでもどこでも祈ることができる。
手を合わせたときも
手を合わせられないときも。
神を想い、
海のような大きな安らぎの中で浮かんでいる。
その中に自分を置いてあげる。
先日、ニューマヤプールというフランスの郊外にある
イスコンのお寺へ行ってきた。
そこで感じたこと。
ちょうど、バララムジャヤンティフェスティバルのときで
たくさんのディボーティーが集まっていた。
とても華やかで豪華なお祭りで
有名なキールターニャも来てて、キールタンもとても盛り上がっていた。
ひとつひとつがクリシュナの喜びのために為されていることに
インスパイアを頂いた。
私の中で興味深かったのが、
私の心は外側に在るもの見えることより
内側に在るものに視点を置き、感じることに
趣きを置いていたこと。
以前のように外側で起きているお祭りに魅了されることもなく
ニュートラルに静かに過ごしたこと。
私の中で通り過ぎたものがあった。
ずいぶん遠いものをずっと追いかけてきたようにも感じた。
それは外側に意識があったときのこと。
もっとより内側に向かっている
深まっていることに
改めて、気づくことが出来て
それを素直に受け入れられることが出来た。
自分の成長を発見しました。
そういう心境で、ラーダラーニーの瞳を見て
ディボーティーの祈る純粋な姿を見て
涙がポロポロ流れたのであった。
ここで他に気づいたのは、これまで
沖縄で、自分のペースで続けたクリシュナとの関係を育む
サーダナバクティ(バクティの修練)の日々が
宝物だったこと。
忘れることもあるけど、
クリシュナを想うことをベースに
子育てに家事、友達に会ったり
キールタンレッスンしたり、唄ったり
チャンティングしたり、お食事を捧げたり
祈ったり、キールタンツアーしたり
すべてが宝物で
すでに足元に目の前にあること。
以前は、組織の型通りにできない自分がダメだなと
思うこともあったけど、今はそれも無くなっていたこと。
これは、サッチャ先生の教えのお陰だと思った。
自分がここに在ることを感じること
この命は、神から流れてきたギフトだということ
そこに意識を向けていたから。
これまで通り、日々の唄と祈りの在る暮らしを大切にしよう。
そして、導かれていること
恵みを与えられていることを
もっと素直に受け入れて軽やかに進もう。
それを決めたら、楽になり
必然と同じ心の仲間と話する機会に恵まれた。
同じように感じている仲間がいた。
私には仲間がいる。
新たな感覚で感じるこの感覚で
深く有り難さを感じる。
沖縄は、普段ヴェーディックなお祭りはしないし、お寺もない。
でも、仲間は増えてきて、サンガはある。
この後、このムーブメントがどうなるのかはクリシュナにお任せしよう。
形にこだわらず、
まずは、自分と繋がり
内なる聖なる存在と繋がることにフォーカスする。
と決めたヨーロッパでの夏。
私たちにはいつも主の助けがある。
私たちはいつも主に導かれている。
どんなときも何をしていても。
ヨーロッパから帰ってからね。
毎日がより愛おしくなった。
皿を洗うとき
洗濯物を干すとき
子どもたちのお弁当の準備
子どもたちとの会話など
一つ一つに
幸せだなぁと感じている。
クリシュナはこの旅で
また大切なギフトを与えてくれました。
Hare Krsna♡
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